恵方巻考

節分ですね。

豆はまきましたか?恵方巻は食べましたか?

私は恵方巻だけ食べました。ファミマで買ってきました。

そしたらパックの裏に恵方巻のお作法が載ってました。

最近は親切ですね~。

そこで、恵方巻についてちょっと考察してみたいと思います。

節分・恵方巻の基礎知識についてはこちら

恵方巻は以前も書いたとおり

福を巻き込んだ縁起物。

そして恵方とはよいエネルギーが流れてくる方角。

その方向を向いてよい力を「いただく」わけです。

一本食べきらなければいけないのは

よいエネルギーを「途切れ」させないため。

途中でしゃべってはいけないというのは

儀式としてより完成度を上げるための縛りといったところでしょうか。

ちなみに私は食べてる途中に「何食べてるの」と家族に声をかけられて失敗しました。

だって無視するわけにいかないし。

まあ、単なる「縛り」ってだけなので縁起は変わらないって事でnote

明日は立春。

春に向けて新しいエネルギーをたっぷり

体に取り込みましょう。

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吉備津神社

えーと、3年前に書いた話です。3年前って・・・切ないな。

話が出たので探したらあったのでアップしときます。

岡山といえば桃太郎ですが
桃太郎伝説の残る吉備津神社というところがあります。
主神は大吉備津彦命で
ご存知遣唐使の吉備真備の祖先ともいわれる人です。

この大吉備津彦命の行った
鬼(というか温羅)退治が
桃太郎伝説のもとであるといわれています。

境内はとても広く
さっぱりとしていて年代を感じる回廊など
かなり見ごたえありです。
私はあまり下調べをせずに行ってしまったので
(というかたまたま宿泊した場所の近くにあり
 移動の前に少し立ち寄っただけ)
じっくり見てまわっていないのですが
ここには大吉備津彦が
退治した温羅の首を封じたという釜があり
鳴釜神事を行っているそうで
申し込めば一般の参拝人でも参加できるのです。
(私は行った時点で全く知りませんでした。
 というか朝早すぎて誰も居なかったし)

この鳴釜神事というのは
この釜で湯を焚き
その時に音が鳴るかどうかで
願いが叶うかどうかを占うというもの。
テレビなどでもよく取り上げられていますし
昔からの文献にも載っているそうです。
古くは国の吉凶を占っていたようですね。

今度行く機会があればこの鳴釜の神事への参加も含めて
もっとじっくりまわりたいです(^^;)

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鬼面

さっき、般若の面を調べておりましたら
「生成(なまなり)」
(般若になる一歩手前、なりかけ)
の面の写真を見つけました。
めっさ恐いっス。
生成に比べたら
般若なんて口角上がってるし
愛嬌のある顔に見えてきます。

生成っていうのは人間から般若になりかけの状態のことです。

人間の情を残してる分怖いんですかねえ

ちなみにそのお店では
防水の面も扱っているようでしたが
防水の鬼面って……?

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御御籤考

御御籤を隅々まで読むと

吉が出た人は凶に転じないよう、凶が出た人は吉に転じるよう

行動するように、と注意書きがあります。

つまり、どんな結果かではなくそれをどう受け止めるかが重要ということです。

これは占いと一緒ですね。

とはいえ、せっかくひいたのに

ただの余興で終わらせるのも勿体無いですから

呪いに転じてみましょう。

1.かなえたい願いが叶うと書かれたおみくじを用意する。

2.御御籤に書かれているのだから何が何でも叶うのだと信じる。

3.御御籤を神棚に上げる、または肌身離さず持ち歩く。

4.時々は取り出して眺める。拝んでも良い。

どんな呪術にもタネがありますから、↑この方法にも当然タネはあります。

しかし、それを知ったら効果が下がる場合もありますので

ここでは詳しく説明しません。良く考えたら分かると思いますが。

出来るだけ、初心者や眉唾なものには飛びつかない人にも

応用できる方法を書きましたので

かなえたい願い事がある方はお試しください。

さて、そもそも御御籤は

政を占う際に使われていた経緯にもあらわれるとおり

その事柄(御御籤の内容)と自分との間に縁があるからそれを引き当てる

という考えが根底に存在しています。

これが御御籤がただの紙切れではないという由縁でしょう。

しかし同時に、御御籤はただの紙切れでもあるのです。

要するに

はじめの話に戻りますが

それを手にした人がどう行動するかが一番大切なことなのです。

ただの紙切れと思って打ち捨てるも良し

教訓として心に留めるも良し

お呪い感覚で楽しむも良し

狂信して身を落とすも良し

ただし、自己責任です!!

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追難(2007完全版)

そもそもこのブログは追難の記事を載せたくてはじめたわけですから

これでちょうど(正確には明日)一周年ということになりますね。おめでとう私!

節分

節分とは季節(立春・立夏・立秋・立冬)の始まりの前日をさす言葉です。

一般的には立春の前日をさす場合が多いようです。

立春の前日(一般的な節分2月3日頃)に行われる

豆まきは平安時代から行われている追難(ついな)の名残です。

近年の節分

最近では家庭で行われる追難は豆まきなどの形式が残るのみで

(神社等では今でも鬼追い(おにやらい)(※下記参照)を行うところがある)

柊の枝にいわしの頭を指した柊鰯を門扉に飾るなどを行う家もあります。

これは鬼(オニ)を追い払うためにおこなうものです。

私の聞いた話では鬼は柊の棘、鰯の匂いを嫌い(誰でもイヤだろう)

その家には近づかないという説によるものらしいです。

鬼とは

季節の変わり目には鬼が生じるという考えから

鬼追(おにお)いの儀式が成立したのですが

ここでいう、つまり

鬼追いとは邪気をはらおうというものです。

季節の変わり目といえば、病気になりやすいですね。

今の人間にはちょっとした病気でも昔は死に直結したのですから

邪気をはらうことは生活の中でもかなり重要な位置にあったわけです。

豆まき

まいた豆を齢の数だけ食べると丈夫になる、という慣わしがあります。

これも豆を鬼にぶつけて邪気をはらい

無病息災を願うところからきているといわれています。

恵方巻き

最近では関東でもおなじみの恵方巻きですが

関西地方で人気の風習です。

恵方巻きはそもそも江戸時代末期頃から大阪の商船の商人が

商売繁盛の祈願にはじめたものといわれています。

私の見解では巻物=福を巻き込んだものを食べる

いった意味合いもあるのではという感じです。

因みに恵方巻きの正しい作法は恵方を向くこと。これだけ。

黙って食べる、笑いながら食べる、これを守らないと

運気が逃げるという説もありますが・・・・・・裏づけはないようです。

鬼追い(おにやらい)

以下去年の記事

豆まきは平安京で浮浪者なんかを鬼に見立てて
石を投げて追い立てたのが始まりらしいです。
真偽のほどはまだ確かめてませんが
まあ平安京に鬼と浮浪者はいっぱいいましたから。

神社などでは節分行事を
鬼追い祭り(神事)とか追難とかいうのが普通だと思います。
京都でも鬼追いは有名ですね。(テレビで流れる)
この行事のもとは子どもたちを引き連れて、
京都一の大丈夫(大きい男の人)が
「鬼やらい」といいながら町を練り歩き災厄を追い払う儀式です。
私の説明ではちょっと正確性を欠いていると思いますが(汗

節分では(最近は少なくなったものの)多くの家で豆まきをしますね。

豆まきは邪気払いですから、呪術なんです。

呪術は一人でやるより多くの人間が行うほうが効果が高いのです。

(一人でこっそりやるのもありますけど、一人の人間の精神力はタカが知れていますから)

ということは、豆まきのような

全国レベルのイベントと化した行事で

邪気払いを行うのはかなり効果が高いといえるのです。

これを踏まえたうえで明日の節分本番では

豆を撒き散らし

恵方巻き(今年は確か北北西)にかぶりつき

拾った豆をぽりぽり齧りながら

悪運を退けること、健康と金運を祈願してみてください。

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御御籤2

御御籤は元来中国に伝わる風習で

日本に入って比叡山で吉凶を占う形式が成立。

当時は政の重要な決定にくじ引きされていたらしい(・・;)

それが鎌倉時代から江戸時代にかけて広がり

現在の庶民向けの御御籤になったそうです。

※ソースは浅草寺の御御籤など

御御籤は「籤」を丁寧にした言葉です。

御御御付(おみおつけ)みたいなもんっすかね。

丁寧にしすぎて訳わかんなくなっちゃったみたいな?

でもま、いっか、みたいな?ビバ!!日本人!!

御神籤とも書きますがこれは神に関係するから、だそうで

寺でひくと御仏籤と書いたりするらしい。

私は浅草寺でひいたから「御仏籤」ひいたってことになりますね。

浅草寺の御御籤は、和歌と細かい運勢の二部形式で書かれていました。

記事には和歌を省き解説だけ載せましたが。

和歌で書くのが古くからの形のようですが

最近では和歌の部分がなく

後半の運勢のみが載せられているものも多いようですね。

ちなみにあまりよくない結果のときは

「境内の木に結ぶ」という慣習がありますが

これは「結ぶ」が「縁結び」に通じるということで

本来は結果に関係なく

縁結びのご利益のある神社で行われるものらしいです。

利き手ではないほうの手でよくない結果の御御籤を結ぶ

困難を達成する修行をした事になって凶が吉に転じるという説もあるようなので

この二つが合体して出来た風習かも?

でも、木の枝に御御籤を結ぶと木が傷むこともあるので

境内に設置してある指定の場所で結ぶようにしましょう!

次回は御御籤に対する私の見解などを。

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御御籤

ええ、昨年の年末になぜか東京霊所めぐりをいたしましたとも。

高尾山、五色不動、浅草寺&浅草神社等々・・・。

で、浅草寺で御御籤を引きました。。

他の場所では引く気にならなかったのですが

ここで引いてみようという気になったので。

コメントつきでお送りいたします。

浅草寺の御御籤は、がらがらを振って

出てきた棒と同じ番号の御神籤を貰うって言うタイプのものでした。

しかし無人でした。

だから外国人観光客が金も払わずひいていました。

私は払ったよーー。

そういえば昔父方の従姉妹が金を払わずひいたら「大凶」だったといっていたなぁ。

神社仏閣側からすれば日本人がまさか

カミの前でそんな泥棒じみたまねするわけ無いという信頼で無人にしてるのでは。

宗教違うからって傍若無人だなぁ。外国人はどうだったんだろう。

私の結果は「吉」だったのですが

内容は結構いいことばかりでした。

これが吉なら大吉はどれだけ浮かれた内容だろう・・・。

↓では。

長い間の苦労がようやく溶けて、だんだんよくなるでしょう。

まぁ、そうかもね。とりあえず、二年が終わった。

目上の人からきちんとした資格(身分や職)や権力が与えられることでしょう。

資格は、そうかも。しかし、権力・・・?私には無縁の言葉ですが?

でも、「職」だったら嬉しい。身分はどうでも良いです、そんな生き方してないし。

残り花に実が成るように、ようやく運がめぐってきたことになりましょう。

そうかな?まだそういう兆候はないけど。

福徳が自由に得られるようになり、昇進して末まで幸せでしょう。

末っていつまで?死ぬまで?

そういえば、御神籤って期間限定しないのかなぁ?あまり知らないけど。

願望:かなえられるでしょう。

しまったーー、健康じゃなくて大金持ちになりたいと願えばよかった!

病気:治るでしょう。

最近の願いは専ら健康なので嬉しいけど。でも別に病気はしていないんですよね。

ということは一度病気になるのかな・・・?

失せ物:遅くなって見つかるでしょう。

別に今は何も探してないしーーー、じゃあやっぱりこれから失くすのか・・・?

待ち人:遅く現れるでしょう。

私の待ち人といえば、おばぁちゃんだけど・・・。

現れるなら待つよ。遅くなっても。

これは当たると嬉しいなぁ。

新築・引越:良いでしょう。

しかし、引っ越さない!

旅行:良い旅となりましょう。

旅行はそこそこ行く予定です。そんな大げさなものじゃないけど

おばぁちゃんのお見舞いとか、おじいちゃんの一周忌とかあるし。

「良い」がどういう意味か分からないですけど、「悪い」よりは良かった。

結婚・付き合い:すべて良い方向に行くでしょう。

予定なし!!

以上。

ところで、御御籤って人に見せると効果がなくなるという説があるらしいですね。

・・・・・・・・・・効果?

まぁなんにせよ私は気にしませんけど。

所詮は「籤」ですから。

おみくじに関する解説は次回。

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鬼っ子

結構大事なことなのにまだ書いていなかった。。。

とにかく疲れているので短くまとめたいと思います。

疲れていなくても短くしていきたいものですが。

鬼っ子というのは

超能力や霊能力といった、普通の人にはない

未知の力を持つ子供のことです。

こういった子供を鬼、と表現するのは

日本だけではなく中国にも見られることで

鬼はそのままオニを意味するのではなく

見えないもの」の意であると考えられます。

このように鬼と表現される子供は排斥される傾向にありますが

世界的に見ても超能力や霊能力を持った子供は排除されるか

若しくは神童と呼ばれて神聖視されるかのどちらかです。

この辺からその地域の目に見えないものに対しての認識のあり方が伺えます。

いずれにせよ、人間が未知のもの(よくわからないもの)に対して

畏れ」を抱いていると言うことには違い無さそうです。

しかし一方でこのように自分と離れたものに対して

ある種の恐怖のような感情を抱くのは、排斥される側にも言えることです。

しかも潜在的能力者のように

生まれたときから見えるものが違っている人間というのは

魂の組成自体、一般的な人間とは異なってしまう上に

多対一に立つわけですから

その恐怖は察して余りあるものですね。

まぁ、人間は誰もが他人との摩擦に苦しんでいるはずなんですけど。

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仏教神道キリスト教

なんで仏教やキリスト教の信者は

神道を自分の宗教と同じものさしで量るんだろう。

一番大きく違うのは

神道では他の宗教と違って

カミを崇めたり拝んだりしないって所。

神道のカミはただの大きな霊だからね。

神社への参拝もただ霊に会いに行ってるだけ。

靖国問題が持ち上がるといつもなんでそんなに目くじら立てるんだ?と思う。

カミとして祀るって言うのは人間よりちょっと上に上げる程度の意味合いだし

国のために殉じた霊に敬意を表しているだけじゃないかと思うんだけど。

あと、あそこなら家族じゃなくても会いにいけるし。

別に他の宗教のように崇めてるわけじゃないでしょ。

会いに行くだけ。だから、普通はお願いなんかしないのよ。

呪術になっちゃうからね。

呪術ってことは当然代償を支払うってこと。

仏と違って神は祟るって言うでしょ。

ルール違反したらペナルティがあるのは呪術の基本よ。

代償を払う覚悟があれば他の宗教の神より成就するのかもね。

そこらで呪術を行うより神社のほうがかないやすいって言うのは

いろいろ都合の良い条件が揃っているだけで

別にカミが願い事をかなえるのに奔走しているわけじゃないのよ。

自然の摂理を利用しているだけ。

今の子どもたちはお日様に感謝して手を合わせたりしないんだろうな。

それじゃ、神道を理解しようとしても無理かな。

私はしてたんだけど・・・

なんでだろ、七五三も祝えないキリスト教の家だったのに。

誰に教わったのだったかしら。。。

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日本の宗教観の成立

では、現在の日本の宗教観は何処からやってきたのでしょうか。

ずばり外国から輸入されてきました。

最初は神(シン)という漢字とともに中国から。

仏教もキリスト教も願えばかなえる神ですから

ただ、そこにある、だけのカミより

神の方に傾くのは当然かもしれません。

新し物好きの民族傾向も手伝って

入ってきたときにぱっと飛びついちゃったわけですね。

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お盆の終わりに三池伝説

お盆に早めに帰れなかったのでその分滞在を後ろにずらしたのですが

15日以降は何もすることがなく、プールに行ったり普通に夏休みでした。

でも、前回一回もラーメンが食べられなかったので

ラーメンラーメンラーメン・・・と呪文を唱えたら

回も食べることができましたーーー!

とくに最初に食べに行った店「銀嶺」のラーメンは絶品!

↑詳しい場所は教えません♪これ以上混んだら困るから。

あのですね、私は生まれて初めて

さっぱりしているのにコクがあるっていう食べ物、ホンモノに出会いましたよ。

そんな文句を謳ってても実際はさっぱりこってりかのどっちかだもんね。

絶対帰るたびに食べに行ってやるぞぃ。

前置きが長くなってしまいました。

帰りの飛行機の中で

昔祖父に聞いたその地方の伝説を妹に伝えました。

昔この地方にいた美しいお姫様が大蛇にさらわれて

なんやかやあって

大蛇が3分割に斬られた。

その大蛇がのた打ち回ったところが

三つの窪地になり、やがてそこに水が溜まり、池になったので

この地方は三池と言う地名がついたのだそうな。

妹の感想何やかやの部分、一番重要じゃん!!」

確かに、そこ濁したらわけわからんな。

でも、覚えてないんよ。すまん、妹。

確か何者かが助けに来たんだったと思ったんだけど・・・勇者とか?

決して姫が一刀両断にしたんじゃないよ。

ということで母に正確な伝説を聞きました。

昔この地方にいたお姫様が沢蟹を可愛がって飼っていた。

そしてこれをにがしてやった。

その後姫は大蛇にさらわれたが

そのとき、姫が可愛がっていた沢蟹が現れ

大蛇をでちょん切ったのだ。

そして三つにされた大蛇が暴れたあとが池になり

この地域は三池と呼ばれるようになったとさ。

因みにこの地域の人はその話にあやかって

沢蟹を食べたりいじめたりしないのだそうな。

と言うのが正しい話。

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稲荷

昔の記事です(^^;

うちの近くの神社、お稲荷さんなんですが
狐の像が子どもを抱えているんです。

お稲荷さんの狐って、神社ごとにいろんな格好をしていますね。
たいていその神社にちなんだ物を持っているとかですが
子ギツネを抱えているのはどんな由来によるのでしょう。

その神社は規模の割には由緒正しいようで
御神宝があるらしいのですが
子ギツネの謎については分かりませんでした。

ところで、お稲荷さん=狐と思われている方が
多いようですが(私も昔そう思っていた^_^;)
狐は稲荷の使者であってカミ様ではないのです。
ちなみに稲荷はイネ=稲、ナリ=生りからきた(稲が生る)
豊穣のカミのことになるようですね。
まあ、考えてみれば狐は社の門の外で守っているわけですから
狛犬と同じく、カミそのものではなく、使いであるというのは納得できます。

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